そんな訳で今回は『海辺のリア』です。
この作品は個人的に、以下の気分のあなたにおすすめと考えられます。
①うつくしい老人なんて、見たことがない→Yes
②一生現役に憧れている→Yes
③人種や時代を越えて役になりきった俳優を見たことがない→Yes
(※劇中の台詞については、いささか心許ない記憶に頼ったものであるため、正確ではない可能性が含まれます。ご了承ください)
その心は…
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「この映画の感想を、簡潔にまとめよ」
って問いがもしあったとしたら。
「とにもかくにも、仲代達矢が素晴らしかった」
で終わります。
これに尽きる。
なので、以下。
ただただ、仲代達矢のすごさを称えるだけのエントリーと化すんだけど。
たまにはこういう趣向も、いいよね。ね。
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まずね。
老人を見て「きれいだなー」と感じたことって、ある?
正直なところ、わたしはほとんどなかったの。
「素敵だなー」と感じる老人は、たくさんいるよ?
生き様が味になっている人とか。
しわも含めて、表情に深みが感じられる人とか。
経験が、仕草や物言いににじみ出ている人とか。
そういう人にももちろん、なりたい。
なりたいんだけど。
今日お話したいのは、そういう意味ではなくて。
「神々しい」
「光り輝いている」
「心が洗われるよう」
「この周りだけ、空気が変わる」
「ありがたい」
「いいにおいがしそう」
この感想をすべて、総括したのがね...
寺じゃないです。
仏像じゃないです。
フラスコ画でも、まじ天使な誰かさんでも、ない。
一痴呆老人なんです。
ね。俄然、観てみたくなるでしょう。
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さて。この作品は、ね。
監督が「仲代達矢に捧げるために」本を書いたものなんだそう。
わかる。
すごーく、わかる。
伝わってくる。
俺はもう ずっとあの人に惚れてた
あの人の芝居にな
この台詞なんか、もうね。
監督自身のラブレターでしかないもの。
じゃあ、そこまで惚れ込まれる仲代達矢の芝居ってなんなの?
っていうとね。
たとえば、怒りや悔しさを表現するシーンなんかでもね。
みんな、声を荒げたり泣き叫んだりするんだけど。
仲代達矢はそんなこと、しない。
終始、聞きやすい声質とボリュームなの。
だけど、そこに抑揚をつけることで。
スピードをコントロールすることで。
あるいは、身体の一部分に少し力を込めてみたり。
表情筋の使い方を少し変化させたりすることで。
怒ったり、嘆いたり、するの。
兆吉の思いを表現するのに。
身体の全部を使うの。
だから、演技が安易じゃなくて。
すごく、説得力があるの。
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共演の黒木華にしても、阿部寛にしても。
決して、下手な役者ではないと思うんだ。
むしろ、実力派、演技派とされているぐらいでしょう。
でもねえ、でもねえ。
仲代達矢の足元にも及ばない。
ぴよぴよです。
観れば、わかる。
すぐに、わかる。
むしろ、格の違いがありすぎて。
一人だけ、突出しすぎてて。
逆に言うと、バランスが悪い映画かもしれないこれ。
そうだなあ、これねえ...
「映画を観る」というよりも。
「国宝級の作品を見に、美術館に行く」という感覚が近いかも。
そういうお宝って、作品って、生で見ると。
感動が、まったく違うでしょう。
ありがたさが、全然違うでしょう。
わざわざ見に来てよかったなーって思うでしょう。
そういう感じなの。
もちろんこれも、しばらくするとDVDも出ると思うんだけど。
でもねえ、でもねえ
おっきなスクリーンで観るとねえ...
ああ。この人は本当に日本の宝だ。って実感する。
ああ。この人丸ごとが作品だなあ。って心底感じる。
だってさ。
国宝が、動くんだよ?
作品が、喋るんだよ?
感動するよ。心が震えるよ。
ぜひぜひ、おっきなスクリーンでわざわざ体験してみてよ。
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そうそう、あとね。
マイノリティや社会的弱者が出てくるお話ってね。
勝手なパブリックイメージで。
なんとなく、それっぽく、演じられることも多いんだよね。
でもそれ、ややもするとオーバーに見えたりすることもあって...
わたしはそのほんのちょっとの「やりすぎ感」がすごく気になる方です。
だってこれ、ある意味すごくこわいことだと思うのよ。
その役者が、または、その監督が、演出家が
マイノリティの存在を「そういう目で見てる」
ってことが、駄々漏れてしまうんだもの。こわい*1
仲代達矢が演じる痴呆老人はね。
特有の、うつろいやすい記憶とか。
特有の、ジェットコースター的な感情のアップダウンとか。
特有の、とりとめなく広がって止まらなくなる話題とか。
ありますあります。
がっつり、あります。
ただ、それもね。
ちゃんと、兆吉のキャラクターに肉付けされた上でのことなんだよね。
たとえばね。
一瞬しか出て来ないエピソードだけど。
兆吉が、台詞を憶えられなくなった頃の話をするくだりがあるんだよね。
そこの表情がもう、ね...
悲しいような、後悔しているような。
だけど、諦めたような、悟ったような。
なんとも言えない顔をするの。
そこだけは、ぼんやりしてないの。
そのコントラストの付け方がね。
ぎゅう、って来るんだよ。こっちの胸に。
今現在、記憶が危うい状態にあってもね。
忘れられないほど強いショックだったんだなーってところが透けて見えるの。
一切、こちらと視線が合わなくても。
あるいは、表情がずっとぼんやり、ふわふわでも。
あるいは、脈絡なく手足がヒラヒラ動いていても。
大袈裟な、ステレオタイプの「痴呆老人」像とはまるっきり違っていて。
ああ。兆吉が生きているのはこういう世界なんだなあ。
こちら側とはまた、違う時間軸なんだなあ。
っていうことがリアルに感じられて。
すごく、腹に落ちてくる演技なの。
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わたしは今まで、ね。
ボケるのだけは嫌だなーって思ってた。
覚えた先からどんどんどんどん、忘れてしまうって。
すごく、不安だ。
すごく、悲しい。
大事にしていたことも愛している人のこともみんな忘れちゃうなんて。
今までのわたしの人生なんだったんだ?って思う。
そして。
この先、自分はどうなってしまうんだろうって思うと、こわい。
兆吉にもおそらく、そんな時期はあったと思う。
この映画は、そこを過ぎたあとの話なんだけど。
今まで好き放題、わがまま放題やってきた。って兆吉自身の性格のせいもあるし。
過去に大スターだったことによるお金の絡みもあって。
兆吉の身辺、ね。
けっこう、ドロドロしてるんだ。
醜いんだ。汚いんだ。
私に、思い出などいらないのです...
みなさんの中に、
私の思い出さえあれば...
私は、私の思い出の中だけで生きてゆきたい
この台詞、考えようによっては傲慢かもしれない。
だって、自分はどんどん忘れちゃうんだよ?
なのに、自分のことは憶えていてほしいだなんて。
そんなん...
究極のエゴでしょう。
でも、そこも含めて兆吉らしくて。
思い出の中に生きている方が、兆吉にとってもしあわせかもしれない。
このドロドロを直視しなくていいのだもの。
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あとねあとね。
タイトル通り、この作品はね。
シェークスピアの『リア王』をモチーフにしているところがあるのね。
わたしは『世界少年少女名作全集』レベルの記憶で観に行っちゃったから
『ハムレット』とか『オセロ』とか、いろいろごっちゃになった状態だったんだけど。
さらっとでもいいから、事前におさらいして行った方がたのしいかも。
ブリテンの老王リアは、3人の娘に領土を分け与え、引退しようと考えている。
自分を最も愛してくれるものに最も豊かな領土を与えようと言うリアに、長女ゴネリルと次女リーガンは、巧みな言葉で歓心を買おうとするが、三女コーデリアは姉たちの態度に反感を持ち、真実を率直に言って父の怒りをかう。
忠実な家臣ケント伯爵の忠言にも耳を貸さず、リアはコーデリアを追放し、すべての財産と王権をゴネリルとリ―ガンに譲り渡した。
しかし、財産を得たとたん娘たちの態度は豹変し、リアを追い払おうとするのだった。
リアは憤怒のあまり、次第に正気を失い、ついに人を呪い、世を恨み、荒野に走り放浪する‥‥‥
(※リア王より引用)
ざっくりだけど、こんな感じ。
脚本がね。
ところどころ、『リア王』をなぞるの。
でも、ところどころは、裏切るの。
わかった上で観た方が、たのしいかも。
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わたしは、四季とかヅカとか。
あとは、日本人が演じてるブロードウェイ産ミュージカルとか。
実は、あんまり好きじゃないんだよね…。
なぜかと言うと。
「ロバート」やら「キャサリン」やら。
どう見ても和顔の俳優同士が呼び合っていることに醒めるからなのね。
「誰がロバートやねん」「キャサリン?よう言うたな」
って、わたしの中のちびぴのの突っ込みが、いちいちうるさくて…。
でもすごいよ、これ。
仲代達矢のあのふわふわの髪の毛と、色素の薄い目がね。
だんだんだんだん、彼が日本人であることに確信が持てなくなってくる。
ただ、季節外れの装いで海辺をさまよっているだけなのに。
だんだんだんだん、マキシコートが王様のガウンに見えてくる。
娘に見放されて、気狂いになってしまった。
悲しい、あわれな王様がそこにいるから。
わたしの中のちびぴのは、終始おとなしかったよ。
*1:たとえば、障害者が出てくる作品なんか、すごく顕著だよね