うちのシナプスだって、本気出せば手をつなげる。

ごはんとお酒以外も上手に思い出せるよ!ということを証明する実験。尚、嫌いな作品をdisるほどのカロリーは残ってません。

『あゝ、荒野 後篇(2017)』に関する記憶 - 王者になるために必要なもの、そして捨てなければいけないものを見せつけられて、厳しい顔になってしまったお話

どうも、あなたのぴのこです。
そんな訳で今回は、『あゝ、荒野 後篇』です。

f:id:pinocorita:20171112014252j:plain


あゝ、荒野 [前篇/後篇] 2017 映画予告編

また、この作品は、以下の気分のあなたにおすすめと考えられます。

①○○王に俺はなる!と思っている→Yes
②情緒のあるエロとか、いまいち理解がむずかしい→Yes
菅田将暉が怪物になるところを見てみたい→Yes

その心は......

(※尚、台詞については耳コピであるため、正確ではない可能性が含まれます。ご了承ください)


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

ちなみに、前回書いた前篇の感想は、こちら↓

pinocorita.hatenadiary.jp

前篇も熱かったけど、後篇はね。
「試される新次」についてのお話なんだと思うの。
主にね。

ボクサーとして、順調に成長してきた(ように見える)新次に向かって。
今回は、試練の波がね。
これでもか!これでもか!と、やってくるの。

前篇において、新次がボクシングをやる理由ってさ。

3年前に、自分と相方を傷つけた裕二に対する復讐心

これだったでしょう。
劉輝が裕二のことを許そうと、何しようと。
新次の中では、絶対に忘れるまじ!と持ち続けている、強い強い復讐心でしょう。

はい。お待たせしました。
後篇ではついに、vs裕二のタイトルマッチが実現するよ。

でもね、その結果がね。
裕二に対して、ダメージは十分に与えただろうと思うよ?
でもね、でもね。
新次が望んでいたのは、あんな判定じゃなくて。

もっと、わかりやすいカウンターで。
もっと、完膚なきまでに打ちのめす。
そんな絵を、描いてたはずだよね。

試合後の新次自身も、ね。
あれ?思てたんと違う......って顔してる。
消化不良起こしてる。

そしたらね、彼の中でも。
ボクシングを続ける理由が一瞬ふっと、宙に浮いちゃったみたい。

あるいは、大洋ジムのことも、そう。
芳子のことに関しても、そう。

私が男の人とすると、いつも鬼が出てくるの
私が夢中になってると、いつも笑って見てるの
それを新次がね、一撃で......

櫛の歯が欠けるように、次々とみんなが離れていってもね。
今までみたいに、わかりやすく。
怒ったり、わめいたり、暴れたりなんかしない。
静かに、思てたんと違う顔してる。

喧嘩で培った根性とかさ。
イキの良さとか。
咄嗟の判断力や頭の回転の速さとか。

もともと「持ってる」ように見えた、新次の方がね。
指の間をすり抜けてしまうものを、ただただ、眺めてる。

「何考えてるの?」
 
「こんなにイイことが世の中にあるって知らない男のこと
 童貞で、どもりで、内気で、すぐ赤くなる
 でも、力はめっぽう強い」

新次って、あんな顔もするんだ......。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

一方、健二はね。
やっと、ボクシングを続ける理由が見つかるよね。

もともと、力も強かったし。
コツコツまじめな性格だったし。
ガードばっかりしてても。
「目開けろよ!」って、どんだけ怒られても。
ほんとは相手のこと、見てた。
ちゃんと、見てた。

それから、二代目に見出されるという幸運にも恵まれて。
移籍先の環境も、パーフェクトで。
ひょんな偶然から、淡く恋慕われる相手とも出会って。

重いパンチでKOするタイプの、やたら強いボクサーに育つの。
「じゃがいもみてえな顔してるもんな」って言われていた健二がだよ?
しっかり見ごたえのあるボクシングをする選手に育つの。

みんな、どこへも行かないで
僕は、ここにいる
ちゃんと、ここにいる
 
だから、愛してほしい

あ。入れ替わった。
新次と、健二と。
二人の間の「持ってる」が、ツキが、真逆になるの。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

なのでね。
新宿新次vsバリカン健二戦だけどね。
これはもう、宿命な訳です。

今までほら、この映画の中ではさ。

ボクシングの世界では
いちばん多く憎んだ者に
チャンピオンの称号が与えられる
だから、
憎め!憎め!憎め!憎め!

これが、いろんな人の口を通して。
何度も何度も何度も何度も、語られてきたでしょう。

なので、新次としてはね。
健二のボクシングを否定しないことには、決してチャンピオンになれないの。

どうやら僕は、ずっとあなたとグローブを交えたかったようです。
新宿新次、新ちゃん......あなたと闘いたい

ほんとはね。
新次は、健二の思いを十分理解してると思うんだよ。
裏切り者だなんて、思っていない。きっと

自分の周囲から、みんなどんどん離れてしまって。
今の新次の心境をいちばん理解できるのは、おそらく健二で。
なんなら、新次自身だって。
ほんとは、健二と繋がりたかったはずなんだよ。

でも、そこで健二に逃げたら。
甘えてしまったら、頼ってしまったら。
健二は決して、チャンピオンになれない。

相手を憎む気持ちが足りないから。

だから、あの歩道橋で。
裕二には、あんなに食ってかかった歩道橋で。
健二と新次が、ランニング中にすれ違うとき。
ふたりは、あんな顔するんだ。

ああ。ストイックって、こういうことか。
チャンピオンって、なんて孤独なんだ。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

さて、後篇が終わっても。
未解決の問題が山積したままになっているよね、これ。

たとえば。
新次の母親:京子は、もっと許しを乞うたり、謝ったりするのかと思いきや。
全然、そんなことしないし。
健二ですら、親を見捨てる。
芳子とお母さんだって、感動の再会なんて、しない。

あんなに、近くにいるのにね。

そこにみんな、もやもやするのかもしれないけれども。
待って待って。ちょっと、待って。
ここでもう一回、思い出してみて。
この映画のタイトルね......

あゝ、荒野』なんだよ。

ここに出てくる2011〜2012年の新宿はね。
寒風吹きすさぶ、厳しい荒野なんだよ。

もちろん、寺山修司はね。
ボクシングを通じて、ふたりの友情や青春も描きたかったのだろうけれども。
その舞台となる、荒野も。
そこで生きる人たちの救いがたい孤独も。
同時に、描きたかったのだと思うの。

ボクシングのことを、あれだけ熱量たっぷりに見せるからこそ。
荒野の寂寥感も、浮き出てくるんだよね。
そのコントラストがさらに強まるのが、この後篇なんだと思うの。

仮に、感動の再会を果たして、涙を流したところでさ。
現実はそんなにそんなに、急に解決したりなんかしない。
親子のことなんか、特にさ。
むずかしいまま、みんな背負っていくじゃない。

「お前のこともちゃんとやる」って。
まっすぐに目を見て、告白しておきながら。
現実は、そんなきれいごとじゃいかないじゃない。
うっかり、相手を身勝手に扱ってしまったりするじゃない。

介護している人間だって、そう。
現実の彼らは、聖人じゃないよ。
現場にうんざりして、逃げ出したりもするじゃない。

なのでわたしはこの、さまざまな問題が解決されていないところが好きです。
生っぽくて、好き。
重いまま、ちゃんと最後まで残してあるところが、とても好き。

生きてる
いちばん美しい
いちばん汚ねえ国で
俺たちは、生きてる


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

そんな訳でね。
淋しい人たちのシーンが、前篇以上に出てきます。

たとえば......そうだなあ。
障害がある人の、障害の部分ってさ。

気になるよね。
絶対に、気になってるはずだけど。

どう、触れていいのか。
どこまで、踏み込んでいいのか。
すごくすごく、むずかしいよね。

「足、どうしたんですか」
 
津波で」
 
「目、どうしたんですか」
 
「試合で」

この、言葉の少なさがね。
すごくすごく、片目っぽいなと思ったの。

注意深く、近づこうとするけど。
間違った言葉で、間違った分量で。
彼女を傷つけるようなことは、決してしたくない。

っていう、片目の思い。
細心の注意を払って、彼女に近づきたがる片目の気遣い。

ああ。そうだろうね。
片目ぐらい、優しい人ならば。
こう、声を掛けるだろうね。
こう、答えるだろうね。

それがぐあんぐあんに伝わってきて。
ぼろっぼろに、泣きました。

わたしは、片目贔屓です。
なので大好きな彼のシーンを、もうひとつ。

「私ね、娘の父親が誰かわかんないような女なの
 思い当たる人みーんな、海に流されちゃった」
 
「だったら、娘さんは、海の子だよ
 みんなの子だよ
 俺の子だよ」

あれだけ、言葉の分量を絞った片目が、だよ?
ついつい熱さを吐露してしまう、このシーン。

そうだ。
この人、元ボクサーだった。
手に入れるために、身体を張る人だった。
守るために、何も惜しまない人だった。

心の奥に、静かに、ずーっと。
残り火を消し切れない人だったんだ。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

あとね。
この作品、前篇もそうだったけど。
後篇もまた、濡れ場が多いです。

「濡れ場って、あんなに必要だった?」
って感想も、いっぱい見かけたんですけれども。

必要です。

わたしは特に、情緒萌えなので。
この手のことには、ややうるさいです。
せっかくなのでね。
やいやい言わせてもらいますけど。

必要です。

この映画の濡れ場については、わたしね。
なぜ必要だったのか、全部全部説明できるよ。

たとえば、健二と恵子のシーンね。
童貞の健二にも、ついに浮いた話が!!!
と思いきや、全然そういうことではないし。
結局なんだったの?って思われるかもしれないけどね。

あのシーンこそ、必須です。

ええと......これはね。
完全に、行間案件で。
どこにも書いてないし、わたし個人の一考察なんだけどね。

たぶん、健二はね。
新次のことが好きなんだと思うの。

あ。断っておきますが。
わたしの属性としては、腐要素はあんまりないです。
妄想は好きだし。
ゲイの友人がいるからアライでいたいとは思っているけれども。
そういう方向での妄想は、あんまりしないです。

だから、まーた、そういうこと言う......って言わないで。
聞いて聞いて!
まじめに、聞いて!

「健二は、新次のことが好き」。
その前提で見直してみるとね

「新次みたいになりたい」
 
「無理だよ
 俺は俺、アニキはアニキだもん
 違う道走ってんだぜ」

この後の、ぐっしゃぐしゃの泣き顔とか。
あの真っ黒になったテープを、ずっとお守りみたいに持ち続けているのとか。
なぜ、大洋ジムに居続けることができなかったのか?とか。

その辺の諸々が、一気にお腹に落ちてくるの。

健二はまじめで、優しい人だからね。
欲望に流されて(性対象がどちらかわからないけど)、身体だけ繋がるとか。
そういうことを是とできなかったんだろうなーって。

気持ちに嘘をついて、勢いに流されるのは失礼だ。
そう、思ったんじゃないかな。
恵子に対しても。
新次に対しても。

自分に対しても。

裸になって。
にっちもさっちもいかなくなった段階で、初めて。
そのことに気づいてしまった。という
あの濡れ場は、とてもとても重要なシーンだと思うの。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

だってさー
いくらプロだとはいえ、役者同士が大勢の人間の前で裸になるんだよ?
それが一生、残るんだよ?
並大抵のものではないと思うの。濡れ場って。

そんな覚悟のいるシーンをさ。
わたしが脚本家だったら、演出家だったら、監督だったら。
意味なく安易に、入れられないよ。

ふたりの関係性の説明であったり。
性格や心理状態の描写であったり。
その時代や街の空気感の表現であったり。

肌色と吐息で表現できることってね。
実はすごくすごく、たくさんあると思うの。

すべての濡れ場が、愛情表現とは限らないもんね。
愛がなくても、セックスはできるから。
そこが、濡れ場のむずかしいところかもしれないんだけど。

情緒萌えのわたしは、そんなふうに読み取りました。
正解かどうかは、知らない。

この映画の濡れ場が、どれもこれも淋しい感じがするのはね。
この新宿が、荒野だから。
描きたい者が、そこで生きる人たちの孤独だから。

すべての濡れ場には、ちゃんと意味があって。
すべての濡れ場は、等しくエモいよ。


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

あと、冒頭の競馬場のシーンね。
あそこも、大好き。
片目(※また、贔屓か!)と新次の会話、最高でしょう。

生まれてきた星に抗わねえと
人生、味気ねえだろ

わたしはギャンブル全般、あんまり興味がないんだけど。
寺山修司は、ジャズと馬が好きな人だったのでね。

そっか。
彼は、お馬さんにこんなロマンを見出していたのか。

親を、越えていけ。
子を、越えていけ。
宿命を、越えていけ。

「ここは、いいジムだったよなー」
 
「我ながら」
 
「振り返るな、振り返るな
 後ろには夢がない」
 
「振り返れば、夢だらけ」

たくさんの「さよなら」を、越えていけ。

そして孤独を、ブチ壊せ。

そういうことを熱く、ずっしりと。
訴えてくる映画だなって思いました。

人間ってのはもともと
中途半端な死体として生まれてきて
そんで、一生かけて
完全な死体になるんだってさ
知ってた?お前

そういう諸々を越えた上で。

ラスト、30秒以上たっぷり長回しの。
新次の、あの表情。

彼には、なにが見えたんだろうね。